コロナ禍に思う色々

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コロナ禍に思う色々

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京都校のヨシダです。
今回は心のままにアレコレ書きます。

つくづく『人生は究極、ヒマつぶしだ』と沸々と強く思う。

自粛要請下でストイックに自宅で楽しみを見出せなかった人たち
イライラして早く早くと、フライング気味に街に繰り出した人たち

外食や酒や語らいで人はどれだけ日頃発散できて癒されているか、
改めて知らしめられた気がする。

都会の文明人が、駅前や公園で感染の危険を顧みず、路上で
集団で車座になって、地べたにツマミや焼きそば食いながら
酒をあおっている。日が変わるまで飲み続け、そこらで用を足している。

いや良い悪いなんかを言う気はさらさらない。逆だ。
我々、最新の文明人が、コロナという未開の、未知の、自然の猛威によって
一瞬にして原始に戻ったような気がしてならない。

さすがに現代人だから、節度は保てている。というか、ITや医療や
社会インフラが整った歴史的最先端にいるおかげで、なんとかこの程度で
おさまっている。危機意識の共有がとれている。スペイン風邪の頃の100年前に
この状態が来ていれば、世界は、数十倍深刻な被害だったろう。

「テレワークになって、家にこもっていたら仕事も趣味も全てモチベーションが
下がり続けまして、テレワークと出社が半々になってちょっと復活しました」と
先日私の生徒さんで企業の部長さんがふっと漏らしておられた。

こんな紳士でやり手な企業人が、そんな風に語られたのが驚きだった。
じゃ、本当の俺たちのすがる軸はどこにあるのか、どこにそれを立てるのか、
コロコロ変わるのか、状況で変えんとあかんのか、
道徳か?成金か?ええかっこしーか?大小の恋か?身近な人への愛か?博愛か?
優等生でええのか?アウトローのほうが逞しいか?

このコロナで、僕らは大なり小なり社会生活や文明の危うさを感じ取った。
考えてみれば、社会事変で【発電】がぶっ飛べば、9割の【利便性】も吹っ飛ぶ社会だ。
そんな危うさの中で成り立っている生活なら、いっそいつ原始生活になってもええように、
どんな原始ライクな生活が楽しめてやっていけるか、シミュレートしたほうが良さそうだ。

もちろんお金が潤沢にあれば安心だ、という側面もあるが、
だからといってこんな非常事態に備えてお金をいっぱい用意しておこうと、
そんなことを意図的に、そんな備え意識が主軸の、対処療法的人生を生きられるのか?
そんな「傾向と対策的」モチベーションで「納得できる満足」は生み出せるのか。

いや、無理だろう。

人生を2度生きた人はいないし、何が真実かもわからない。
波風立たないことが平和で幸せとも言い切れない。
とは言え、不安も幸せでない。じゃ、なんだ?

最低限、同じヒマをつぶすなら、それなりに不安定な中で同じ長い人生を生きるなら、
『人生ヒマつぶしだ!』と割り切って、他人にはできんような
納得のヒマつぶしジャンルを自分で絞り込み、
人がどう言おうが笑おうが、そんな小さい奴はほっといて、
と同時に、降りかかる予期せぬマイナス要因にも正々堂々とベスト対峙した上で、
アレコレ抗って、微笑んで意地張って、かつさわやかに生きて行ければ最高だ。

コロナでこれから少しずつ変わりゆく大きな世界で、
自分の中の最小単位の『原始』にピュアな目を向けたいと思った。

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