PRINCE

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こんにちは八王子校チーフのUZAです。

先日私の最も憧れるミュージシャンのPRINCEが亡くなりました。
まだ57才
奇しくも私の誕生日の4月23日に彼の遺体は荼毘に付されました。

その日は世界中が紫の涙を流しました。
私が最初にPRINCEの作品と出会ったのは小学校6年生の時
ロングコートの下に黒のブリーフ一枚の裸同然の姿でピョンピョン飛び跳ねて
歌うのをTVで観た時からでした。

その頃まだ身も心も純粋だった私にはただの変態の異人さんにしか見えません
でしたが、中学に入ってアルバム「1999」を聴いてプチブームが到来し、
1984年、中2のときに歴史に残る名作「パープルレイン」が発売されると、
レコードが擦り切れるまで聴き倒し、歌舞伎町の映画館に一人で「パープルレイン」の
映画を観に行き変な宗教団体に連れて行かれそうになったりしました。

その当時はまだ歌舞伎町の真ん中に池があってね・・・みんな知らないだろうなぁ
何の使命感からか、町中のみんなにPRINCEを知って欲しくて大音量で窓を開けて
部屋で聴いていたら近所のおじさんに怒られました。

またお年玉を貯めて「パープルレイン」のビデオテープを1万円以上で買い
(当時はまだビデオテープが高かった!)
毎年発売されるニューアルバムと過去の作品を買いあさり、発売寸前でお蔵入りした
「ブラックアルバム」の流出したアナログのカセットテープ(音質悪し)を
怪しいお店にまで買いに行きました。
部屋にプリンスの半裸のポスターを貼っていたら、さすがに母親に剥がされました。

そして高1の時、初来日コンサートを観に横浜スタジアムに行きました。
興奮して座席に立ち上がったら警備員に後ろから押されて、物販で買ったレコードを
踏んで割ってしまったり、一番に並んで買ったパンフレットが
偶然2部くっついてGETして、それを友達に定価で売ったりしました。

その友達は今ラジオの制作をやっていますが、今回の訃報を最初に教えてくれたのは彼でした。
大学1年の時は当時の彼女(今の奥さん)と東京ドームのライブにも行きました。

とにかく憧れて憧れて
PRINCE独特のRimの音を作れないかカセットテープの回転数を変えたり、
逆回転にしたり色々実験しました。

そして彼の才能に打ちのめされました。
ヒット曲「KISS」を自分でアレンジし直したり、「My name is Prince」って
歌詞を「My name is DEBU」って変えて少々お太り気味の先輩にプレゼントしたりしました。

今の私のペンネーム「UZA」もその太っちょのPRINCE大好き先輩と二人で
風呂も入らず大学の授業にも出ずにずっとプリンスみたいな曲を作っていたの
「俺たちうざったいよね」からTEAM UZAと名乗ったのが由来です。

ちなみにTEAM UZAの私はBIG FOOT、先輩はFATMANです。
BIGFOOTは今の私のスタジオの名称です。

とまぁ、こんなふうに本当に私の青春はPRINCE一色でした。
PRINCEが来日中にホテルで1日中ピアノを弾きまくり、ピーナツバターしか
食べなかった。などという噂を聞くとそれを真似して母親に「糖尿病になるぞ!」と叱られました。

私の時代はまだまだインターネットなどなく、チャートを見てもTOP100の
半分くらいは日本未発売なんて頃でしたから海の向こうの音楽は
カッコよくて、ミュージシャンも皆神秘的でした。

突然ですが、人を成長させるものって何だと思います?
私は「憧れ」だと思っています。
模倣も創造も挫折も嫉妬も成功も感謝も
全ては憧れから始まるんだと思います。

SNSで著名人の晩飯まで見れてしまう昨今
どうしようもなく才能に溢れ、憧れさせてくれる人っていない気がします。

・ ・・私が年をとったのかな?

みなさん!憧れましょう

そして追いかけましょう

それがいずれきっと成長となります。

何をやっても中途半端でダメ学生だった私がもう20数年、音楽業界の
片隅でですが、音に携わって生きていられる理由はただ一つです。
プリンスに憧れたからです。
会ったことも話したこともないのに誰よりも私に影響を与え
私を人間として成長させてくれた人私が心から憧れた人

プリンス

さよなら

ありがとう

 

 

 

 

 

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